保健室の先生は「今日はもう帰りなさい」とは言ってくれなかった。
他人はああしろこうしろと簡単に口を出してくるけど、それを実行した結果の責任を取るのは自分自身だ。
だから、いつでも自分自身の声に従おう。
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タイトルは、〜言ってくれなかった。
だから、あそこの先生は悪い人だ。
とかそういう話ではなくて。
決めてくれなかったんですよね。
当たり前の事だけど、
決定権は全て自分に委ねられてた。
それはきっと、
高校生にもなればみんな判断力も
大分ついてきて、大人の一歩手前だから。
だから、自分で決めさせられた。
元々自分で決めなきゃいけないことだった。
小学校とか中学校では
「お腹が痛い」と言えば、先生が
「じゃあ一時間休憩する?」と聞いてくれて
それに頷くだけで一時間布団でゆっくりできた。
「先生に一時間休むこと伝えとくね」
"保健室の先生の判断"で、休むことが出来た。
体温を測って熱があった。
脈がなんだかいつもより早い。
咳が出る。目眩がする。
そんな、"体調が悪い証拠"があれば、みんなが勉強してる間、クーラーのきいた静かな部屋でゆっくり休んでいられた。アクエリアスがもらえる日もあったな。
でも、高校に上がると、中学の時までの保健室の先生とは少し対応が違った。
「熱があるみたいだね、どうする?」
どうするかは保健室の先生が決めることではなく、私が決めることになった。
そして、保健室で休む時にはそのことを先生に伝えに行くのは自分の役割だった。
本来はそれがあるべき姿なのかもしれない。
けど、今まで助け舟を出してもらっていた私は、急に助け舟が出なくなったことにとても困惑した。
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大人になると、「こうしなさい。責任はあなたが取ることだけどね」と言われることは多くなるけど、「こうしなさい。責任は全部ぼくが取るから。」そう言ってもらえることは中々ないと思う。そんなことを言ってくれる人がいたらそれは間違いなく神。地上に舞い降りた天使。メシア。
……まあ、それは良いとして。
で、その後。
「こうしなさい。…ちゃんとやってる?なんでしないのよ!!こうしなさいって言ったじゃない!!!私の言うこと聞きなさいよ!!」これも増える気がする、大人になると。いや大人でなくてもこれが日常的にそばにいるひともいるかもね。
「こうしなさい。…ちゃんとやってる?…やってないの?どうしてやらないの?…なるほど、そういう事情があったんだね。ならこうしようか。これならできる?」こんな大人いたら天使。一生ついていきます。
…何言いたいのか分からなくなってきたんだけど、身の回りの世話を甲斐甲斐しくしてくれて、めっちゃ世話焼きで自分の体のことを心配してなんやかんやしてくれる人がそばにいればいいのになぁと思います。
小さい頃、インフルエンザに罹った時に、お母さんが数時間おきに濡れタオルを氷水につけて冷やして絞って頭に置いてくれたことを思い出します。
そして、重いくらいにたくさん被せられた布団のことも。幸せだったなぁ。
「ご飯食べられる?」
「おかゆ作ろうか」
途中から、段々壊れていった。
いや、壊してしまったのかもしれない。
何が原因かはもう思い出せないし、
思い出そうともしてない。
私は甘え過ぎていたのかな。
今からでもまだ、戻れるのかな。
私はいつのまにか大人と呼ばれる歳になって、お母さんの手はいつのまにか昔以上にシワだらけになっていた。
お母さん。
私の大切なお母さん。
怖い時もあったけど、
優しくて大好きなお母さん。
あとどれくらいそばにいられるのかな。
あなたが生きているうちに、
私は大人になれるのかな。
子供に戻りたいと、すごく思います。
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たった一人の自分すら、自分で支えきれなくて。ふらふらと自分よりも力のある人に寄りかかりたい気持ちでいっぱいです。
でも、きっとみんなそれぞれ自分のことに忙しくて、私に優しくしてる余裕なんてないんだろう。
みんなが私に優しくしてくれる場所があったらいいのに。
あなたは何もしなくていいから、元気になるまで休んでなさいね。って、言ってもらえる場所があればいいのに。
何も心配しなくていいよ。
大丈夫だよ。
そう言ってくれる強い大人が
側にいてくれたらいいのに。