弓道
今、伊集院の神社にいる。
名前は知らない。
私の座っているところから
少し離れたところで、
どうやら親戚らしい集まりが
軽く挨拶を交わしながら
境内の方に歩いて行った。
この神社の横には弓道場がある。
たん、たん、と音がするので
何だろうと覗いてみたら
中学、高校生くらいの女の子男の子たちが
的に向かって弓を引いていた。
その姿は凛として、堂々としていて
思わず見惚れてしまった。
これこそが日本人のあるべき姿なのではないか、とも思った。
最近のファッションは、とても多様化していると思う。それぞれが思い思いに好きな服を纏って、自己を表現している。
でも、私にはどんなに煌びやかなそれも、あの凛とした袴姿の横ではくすんでしまうのではないか、と思ってしまう。
綺麗にまとめられた黒髪、
白黒の袴、
綺麗に伸びた背筋。
あれこそが真の美しさではないだろうか。
たん、と静かに矢が的の中心部を射ると
矢を放った当人はやったぁ!など喜びは露わにせず、ただ淡々と型になぞって次の矢を射る準備をする。
その横で、後輩らしき数人の男女たちが軽く拍手をする。
全てが何にも乱されることなく、
淡々と進んでいく。
精神統一
まさにその言葉通りの景色だった。
あの弓道場は、一般の受け入れもあるのだろうか。もしあるなら、私もあそこに入って、あの袴を着て、的に向かって矢を放ってみたい。
そう思った。
これから伊集院に行く。
そうだ、京都に行こう。
的なノリで今朝伊集院行きを決め、
今、初めて鹿児島のJRの駅にいる。
めっちゃ暑い。
で、なんか鉄道撮ってる人いた。
…私には楽しさが分からん………
鉄道の写真撮って何が楽しいんだ???
(撮り鉄趣味を悪く言ってるつもりじゃないです)
今さっきたまたま居合わせたおばちゃんに、国分行きの電車はここで大丈夫よねぇ?みたいなこと聞かれたんだけど、私もJR初めてだから上手く答えられなかったww
とりあえず電光掲示板確認しに行きましたキリッ。
ただいま目の前で宮崎いきの電車が発進…
と思ったら!!!!
なんか車掌さんに声かけられた〜!!!!
ものっすごい爽やかなイケメン…!!
さぞおモテになることでしょう。
なんか、車掌さんへのメッセージを求められたので笑顔が素敵でした、頑張ってください。と書いて、メッセージと一緒に写真撮りました(u_u)
もう終始にっこにこしてくれて、
癒されたよほんと……
かわいすぎでした。
さすがJRの車掌さんです。
写真撮られたってことはどっかに
掲載されるんだよな………
知り合いに見られたらやだなぁww
まぁいっか(u_u)
イケメン爽やかな車掌さんのおかげで、
一時とってもしあわせな時間を過ごせました…!!
ありがとう車掌さん!
しかも、すーーーっごく丁寧に親切に
乗り場案内してくれた!
どうやら私がいた場所からじゃなくても
目的地に行く道はあったそうで。
ありがとう車掌さん。
ふと、車掌さんと別れてホームに降りたあとに、車掌さんイケメンだったから写真撮らせてもらおうと思い立って、写真撮らせてくださいって頼んだら、撮らせてもらえたー!
しかも、敬礼してくれた!
笑顔が素敵でした☺️✨
でも、絶対実物の方がかっこいい!!!
写真だと魅力伝わらんと思う。
動いて喋るの見た方が絶対に
あの車掌さんの魅力は伝わる。
とっても素敵な車掌さんでした。
どこからが浮気なのか?
女友達。
仲良しで何でも話せる仲。
(はい、この時点で怖すぎますね。)
相手の方が私よりも彼氏のことを知っている。
(やばすぎだろあんたら付き合え)
LINEやTwitterなど、
やりとりが頻繁にある。
(だからそれもうカップルだろ付き合え)
呼び捨てで呼び合っている
(だからry)
これカップルの条件あげた方がわかりやすい気がしてきたよ……
彼氏とかここ数年いない人だけど、
彼氏というより家族がほしい。
恋愛だけで繋がる関係だと、
冷めた時に壊れる可能性が大きくなるから。
なんだかんだずっと側にいられるのは
友達なんですよね。
だから、この人とずっと付き合っていきたいと思ったら友達としてのスタンスを崩さずにいるしかないのかなと。
好きな人の、
一番大切な友達ポジションにいたいです。
なんだかんだ友達以上恋人未満が一番。
不謹慎な考えですが。
釣った魚に餌はやらないが相手のモットーなら、いつまでも釣られずにいればいいんです。思わせぶりは罪???そんなの関係ねぇよ!!!!!!
ていうか、思わせぶったところでそう簡単に惚れられるような容姿でもないもんでね。
男友達ほしいね。
や、その前に女友達ほしいけどね。
友達ほしい。金ほしい。
一緒にうまいもん食べに行く友達いたら
とっても幸せだと思うの……
保健室の先生は「今日はもう帰りなさい」とは言ってくれなかった。
他人はああしろこうしろと簡単に口を出してくるけど、それを実行した結果の責任を取るのは自分自身だ。
だから、いつでも自分自身の声に従おう。
……………………………………………
タイトルは、〜言ってくれなかった。
だから、あそこの先生は悪い人だ。
とかそういう話ではなくて。
決めてくれなかったんですよね。
当たり前の事だけど、
決定権は全て自分に委ねられてた。
それはきっと、
高校生にもなればみんな判断力も
大分ついてきて、大人の一歩手前だから。
だから、自分で決めさせられた。
元々自分で決めなきゃいけないことだった。
小学校とか中学校では
「お腹が痛い」と言えば、先生が
「じゃあ一時間休憩する?」と聞いてくれて
それに頷くだけで一時間布団でゆっくりできた。
「先生に一時間休むこと伝えとくね」
"保健室の先生の判断"で、休むことが出来た。
体温を測って熱があった。
脈がなんだかいつもより早い。
咳が出る。目眩がする。
そんな、"体調が悪い証拠"があれば、みんなが勉強してる間、クーラーのきいた静かな部屋でゆっくり休んでいられた。アクエリアスがもらえる日もあったな。
でも、高校に上がると、中学の時までの保健室の先生とは少し対応が違った。
「熱があるみたいだね、どうする?」
どうするかは保健室の先生が決めることではなく、私が決めることになった。
そして、保健室で休む時にはそのことを先生に伝えに行くのは自分の役割だった。
本来はそれがあるべき姿なのかもしれない。
けど、今まで助け舟を出してもらっていた私は、急に助け舟が出なくなったことにとても困惑した。
………………………………………………
大人になると、「こうしなさい。責任はあなたが取ることだけどね」と言われることは多くなるけど、「こうしなさい。責任は全部ぼくが取るから。」そう言ってもらえることは中々ないと思う。そんなことを言ってくれる人がいたらそれは間違いなく神。地上に舞い降りた天使。メシア。
……まあ、それは良いとして。
で、その後。
「こうしなさい。…ちゃんとやってる?なんでしないのよ!!こうしなさいって言ったじゃない!!!私の言うこと聞きなさいよ!!」これも増える気がする、大人になると。いや大人でなくてもこれが日常的にそばにいるひともいるかもね。
「こうしなさい。…ちゃんとやってる?…やってないの?どうしてやらないの?…なるほど、そういう事情があったんだね。ならこうしようか。これならできる?」こんな大人いたら天使。一生ついていきます。
…何言いたいのか分からなくなってきたんだけど、身の回りの世話を甲斐甲斐しくしてくれて、めっちゃ世話焼きで自分の体のことを心配してなんやかんやしてくれる人がそばにいればいいのになぁと思います。
小さい頃、インフルエンザに罹った時に、お母さんが数時間おきに濡れタオルを氷水につけて冷やして絞って頭に置いてくれたことを思い出します。
そして、重いくらいにたくさん被せられた布団のことも。幸せだったなぁ。
「ご飯食べられる?」
「おかゆ作ろうか」
途中から、段々壊れていった。
いや、壊してしまったのかもしれない。
何が原因かはもう思い出せないし、
思い出そうともしてない。
私は甘え過ぎていたのかな。
今からでもまだ、戻れるのかな。
私はいつのまにか大人と呼ばれる歳になって、お母さんの手はいつのまにか昔以上にシワだらけになっていた。
お母さん。
私の大切なお母さん。
怖い時もあったけど、
優しくて大好きなお母さん。
あとどれくらいそばにいられるのかな。
あなたが生きているうちに、
私は大人になれるのかな。
子供に戻りたいと、すごく思います。
…………………………………………
たった一人の自分すら、自分で支えきれなくて。ふらふらと自分よりも力のある人に寄りかかりたい気持ちでいっぱいです。
でも、きっとみんなそれぞれ自分のことに忙しくて、私に優しくしてる余裕なんてないんだろう。
みんなが私に優しくしてくれる場所があったらいいのに。
あなたは何もしなくていいから、元気になるまで休んでなさいね。って、言ってもらえる場所があればいいのに。
何も心配しなくていいよ。
大丈夫だよ。
そう言ってくれる強い大人が
側にいてくれたらいいのに。
信じること
私はお母さんを信じようと思う。
それはお母さんの言ってること全て正しいからお母さんに従いますってことじゃなくて。
きっと、お母さんだって今まで生きてきた中で、間違ったこともしてるし、失敗もしてるし、選択を間違うこともある。
苛ついたら爆発するし、なんかしらやらかすこともある。
老いていくし、色々体の不調も出てくる。
怒りっぽくなったり、認知症になったりしたりするかもしれない。
それでもお母さんを信じる。
それはお母さんが言ってること全て正しいと思いこむことじゃない。
私は自分自身も信じる。
間違ったことをすることもあるかもしれない。それでも信じる。
それは私は正しいと自分を過信することじゃない。私は大丈夫だと信じること。
そして、誰から否定されようが、違う価値観を押し付けられようが、間違った選択をしようが、私は私でいいということを忘れずにいること。
お母さんが、ご飯を作って持ってきてくれた。
すごくしあわせだなぁと思う。
実家暮らしの時は当たり前だったこと。
いつまでも当たり前ではないこと。
お母さんの手料理が食べられる私は
とても、幸せものだと思う。
私は、お母さんに愛されてるからそれでいい。
世界中のみんなに愛されてなくたって、
たった一人の大好きなお母さんに愛されているから、それでいい。
私はお母さんが好き。
だから、お母さんがもし、介護が必要になった時にちゃんと支えられるように、今から経験を積んでおきたいな。
やっぱり介護職に就こうかな。
でも、介護職は腰を痛めるっていうから、そうなったら介護できない…
うーん、みんなに美味しいご飯を作り続けられる人になりたいかな。
自分も美味しいもの食べたいし、
大勢でわいわい美味しいご飯を囲む場所があれば、きっととっても幸せ。
大切な人たちと生きていられること。
きっと、それが一番のしあわせだ。
私の夢。
私の理想の未来像は、
毎日、家族四人で美味しいご飯を囲んで
今日あったこととか愚痴とか
取り留めもない話をして、笑いあうこと。
そして、いつも通りに順番にお風呂に入って、それからテレビなんか見ながらリビングでみんなでゆっくりして。
それぞれ好きなことする。
私はピアノ弾いたり、ギター弾いたりしたいな。
猫もいたら嬉しい。
それから10時頃には消灯、
それぞれ清潔でふっかふかな布団で
ぐっすり眠る。
そんな、普通で、しあわせな日常。
週一くらいのペースで
家族四人でここが美味しい!って
お店に外食とか行けるといいなぁ。